2007,07,11, Wednesday

■ グレゴリー・ペック ■
本名:エルドレド・グレゴリー・ペック / Eldred Gregory Peck
ニックネーム:Father Peck / Greg
生年:1916年4月6日
没年:2003年6月12日(87歳)
出身地:アメリカ / カリフォルニア州 ラ・ホヤ
身長:191cm (少年時代から、この長身に対してコンプレックスを持っていたため、猫背になる)

6歳の時に両親が離婚。
薬剤師だった父に引き取られ、祖母のもとで育てられる。
陸軍学校を卒業した後、父親の希望でカリフォルニア州立大学の医学部に入学するが、家計が苦しいことを知り大学を中退し、石油会社に勤める。
その後、友人の薦めで大学に戻って薬学を専攻。
大学では、ボート部に入ってレガッタの選手となるが、試合中に脊髄を痛めて引退。
スポーツ選手への夢を断たれたペックは演劇に興味を持ちはじめ、大学の演劇部に参加する。
大学を卒業後、演劇を目指してニューヨークへ渡る。

2003年6月12日、ロサンゼルスの自宅で、87歳で老衰により死去。
奇しくも、2003年6月4日、米国映画協会より、『過去100年の映画ヒーロー・ベスト50』にて、インディ・ジョーンズ(2位)とジェームズ・ボンド(3位)を抑えて第1位:アティカス・フィンチ弁護士が選ばれた。
品位にあふれた紳士的で優しい人柄、誠実で温厚な人格者として人々の尊敬を集め、「アメリカの良心」ともいわれた。
リベラルな政治思想を持つペックは、政治にも積極的に参加。
「あらゆる差別に反対する」 「核軍縮は私の人生にとって最大の関心事だ」 などの言葉を残している。
第36代合衆国大統領リチャード・ニクソンの政敵リストにあげられ、共和党からの政界進出を噂された事もある。

ハリウッドの俳優組合会長を務めたこともあり、俳優救済基金を設けて恵まれない俳優たちを援助。
1964年度のアカデミー賞では、欠席がちだったスターたちに授賞式への参加を呼びかけて式を成功させるなど、アカデミーに多大な貢献をしたことから1967年にはジーン・ハーショルト友愛賞が贈られ、1967年から70年まで第17代アカデミー協会会長を務めた。
また、ジョセフ・コットン、メル・ファーラーらと共に「ラ・ホヤ・プレイハウス」を創設して新人俳優の育成にも務め、1989年にはアメリカ映画協会から生涯功労賞が授与された。
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← 1949年のアイドル写真のような、グレゴリー・ペック
→ これは……
ちょっと(服装といい、かなり)加山雄三ちっく……。




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← 2000年5月16日
US star and guest of honor

■ 主に受賞した賞 ■
※44年「王国の鍵」 46年「子鹿物語」 47年「紳士協定」 49年「頭上の敵機」 で、アカデミー賞主演男優賞にノミネート

■ 会長歴 ■


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